なぜ!? ロースターになったのか

テーブルランド 編
YCRブログ「なぜロースターになったのか?」テーブルランド中原英貴

百番珈琲 編
「なぜ?!ロースターになったのか」今回YASTUGATAKE CRAFT COFFEE ROASTERSでこのような内容のバトンが回ってきましたが、他の皆さんのようにドラマチックな展開や出会いでロースターを目指した訳ではなく、割と「成り行き」で今にたどり着いているのでその経緯をざっと書けたらなと思います。

そして、あれから20年くらいたったが、今でもあの珈琲の味をしっかりと私は覚え ている。 臼井さんの死は、今でも私の中に珈琲として残っている。だから、長い年月がたっ た今でも、うまく焼かれた珈琲を飲むと、マスターのすこしニヒルで優しい笑顔が 蘇る。 少しでもあの味に近づきたいという想いは続いている。だがそれは味そのものでは なく、人に沁み入る珈琲なのだと思う。私はそんな珈琲を焼いていきたい。
約三年くらいだろうか、ブブから遠ざかっていたある日、何度か一緒に行った友人 から、マスターが病気で亡くなったらしいと聞かされた。おそらく肝臓だろうと。 俄かに信じがたく、ブブに行ってみると、ガラス張りのドアには小さな閉店のお知 らせが貼ってあった。蒸気機関車のような銅色の焙煎機はすでにそこにはなかっ た。なんだかそんなはずはないと実感の湧かないままに立ち去ったのをいまでも鮮 明に覚えている。そして、その数年後のある日、突然に自分で珈琲を焙煎してみたくなった。 私は新宿にあるジャズ喫茶DUGに行った帰りに近くの珈琲豆の専門店で、簡単な珈琲を焙煎する道具と生マメを買った。 翌日、事務所で仕事の合間にガスコンロで煎って、マスターに教わったようにネル ドリップで珈琲を落とした。 あの味にはとても及ばないが、苦さの中にもほんのりと甘い柔らかな味がした。人はある日突然にいなくなる。なんの予告もなく。その人が残したものと面影だけ があって、人は消え去る。だから、そのときには亡くなった人の存在がまだほのか に心の中にあり、実感として寂しさや悔しさには置き換わらない。
「うちでマメを焼いていると、向こうの学大茶房に客が増えるんだよなあ。」マス ターはニヤリとしながらそう言った。私は常連客となり、口数が極端に少ないマスターも、少しずつだが自分のことを話 してくれる事が多くなった。 昔は映画のカメラマンだったこと。旧いボルボのステーションワゴンに乗っている こと。そのクルマがいつも肝心な時に機嫌を悪くすること。 子供が3人もいるのに、この年でまた一人生まれてしまったと苦笑いをしながら話 してくれたこと。いつも体調が悪く、どうも肝臓がダメらしいということ。 そして、その合間に珈琲の煎り方のコツや、美味しいドリップの仕方、落とす温度 のこと、マメのブレンドのことなどを教えてもらった。いま思えばよく教えてくれ たものだと思う。 私はブブに5年位通っただろうか。 その後、目黒の五本木に住んでいた私は、家族の希望で藤沢に越した。やがて仕事 も幸運にも忙しくなり、ブブでぽかんとした時間を楽しむことも少なくなっていっ た。 それでもブブの珈琲が飲みたいなあと常に思ったものだ。その味はどうしても突然 に記憶の中にやってくる忘れることのできない美味しさだった。
そして、お客さんにもらったというイラストの額が二つ、そのスピーカーに 寄り添うように飾ってある。そしてそのスピーカーからはいつも微かな音量で、ビ ルエバンスのアンダーカレントが繰り返し流れていた。臼田さん、マスターだが年齢は判らない。おそらく当時の私よりも三歳くらい年上 だったかもしれない。このマスターの珈琲の味は、彼の穏やかな風貌のように柔ら かくて甘くてとろりとしていた。 初めてこの店を訪れた時に、私は臼井さんの焼く珈琲の味に感動してしまい、週に 三度ほどのペースでこの店に通うようになった。 ソフトブレンドは優しくて緩やかな風の様な珈琲。ストロングブレンドはやや苦く て甘みのある不思議なコクを持った珈琲だ。その他にはストレートが何種類かあ り、たまに「今日はガテマラがうまいぞ。」と、ぼそりと勧めてくれることもある。火曜日と金曜日の夕方にアンクルブブのあるこの商店街を歩くと珈琲を焙煎するい い香りが漂ってくる。 しかしブブの斜め向いには学大珈琲という喫茶店があった。 臼井さんの店は細い路地の少し奥にあって分かりずらい。
蓮珈琲 hasu cafe編 NO1
珈琲の焙煎との出逢い。東横線学芸大学の商店街を目黒通りの方角に二つブロックを歩いた細い路地に面し て、アンクルブブはあった。ガラス張りの、といってもそうモダンなものではな く、ちいさな白く塗られた扉を手前に引いて中に入ると、タバコを短くくわえた物 静かなマスターが、「おー」といつも同じ調子で出迎えてくれる。自家焙煎カフェと喫茶店の中間みたいな店だった。 小さな二人掛けのテーブルが二つとカウンターに6席。だけれど私の訪れる時間帯 が暇なのか、常連の客が一人か二人カウンターの隅っこに座っているか、誰もいな いかだ。マスターは、いつもタバコをくわえながら、文庫本を読んでいる。 私がマスター近くのいつものカウンターに座ると、少しの沈黙の後に「ストロング か?」とマスターが聞いてくる。「今日はソフト」と言うと、「そうかあ」と言っ て静かに頷くのが常だった。 ガラスの扉の横にある3キロ窯の焙煎機の向かい側の壁には、小さな古いスピー カーが掛かっていて、珈琲を焼く時のチャフと煙で白いコーン紙が薄茶色になって いる。

1年近く勉強した後、さらにコーヒーの魅力を多くの方に知っていただきたく店舗を構えロースターとしてもスタートをしました。今では、YCRというグループで仲間と共にさらにコーヒーの魅力を日々感じながら、楽しくコーヒーライフを送っています。こんな自分も感じたコーヒーの魅力をもっと多くの方と共有できたら最高ですね。文章にするとなんか恥ずかしいです。まとまりも無く長文で申し訳ございません。こんなてるてるぼ~ずですが、どうぞ宜しくお願い致します。そして次回もお楽しみに!
てるてるぼ~ず編 NO1
今回担当させていただきます、自家焙煎珈琲てるてるぼ~ずです。自分はロースターとしての活動は5目、それ以前は全く別の仕事をしていました。そんな自分がロースターになったきっかけは「コーヒー豆(生豆)を取扱う仕事に興味はないか?」というお話を頂いたのが最初です。ロースターの話しではなく、生豆の輸入や卸し業の仕事でした。経験も知識も無かった自分、何故かわかりませんがとても興味関心が湧き、勉強をしながらですが生豆を取扱う仕事を始めさせてもらうことになりました。これをきっかけに「コーヒー」について猛勉強!時間さえあれば、コーヒーショップに通い様々な味わいの豆に出会いました。その中で強く感じたのが、自家焙煎珈琲の美味しさ!奥深さです。どこのお店も豆や焙煎のこだわり、目指している珈琲の質の高さ、今まで感じたことのないコーヒーの世界。もうどっぷりコーヒーの魅力にハマっていました。そんな日々を過ごしながら生豆を取扱う仕事、豆の良し悪しやコーヒーの魅力を知っていただくには?と強く思うようになり、それなら自分で焙煎もして魅力を伝えよう!と考え、焙煎の勉強も始めました。

地味だけどシンプルな作業だった事と、生豆から飲める状態になるまでの変化が面白かったので、続ける事ができました。焙煎した豆は友人、知人に飲んでもらい、感想を聞いたりしながらしばらく続けていると、ありがたいことに、面白がってくれる方がいて「イベントに出店してみない?」とか「ワークショップうちでやってよ」と声をかけてもらえるようになりました。まさか仕事になると思っていなかったので、とても驚きました。そこから本当にたくさんのご縁があって、知り合いの飲食店で働きながら、週末はイベントに出店したり、間借りでやらせてもらったりしながら、細くですが活動してこれて、今年の6月にようやく自分のお店をかまえることができました。今まであまり長続きしない事が多かったのですが、この仕事はかなりしっくりきている気がしています。手先も頭も器用じゃないし、何をするにもゆっくりとしたペースでしか進めずな人間ですが、手廻しの焙煎はシンプルな道具でシンプルな作業で、そこ(変化)にだけ集中すればいい。

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