テーブルランド 編

私が、ロースターになった訳には、実は、とても不純な動機がありまして、今この場で公表すべきかどうか迷うところなのですが、嘘をつくわけにもいかないので正直に紹介します。

 

 私が、コーヒー豆の焙煎を始めたのは、2004年の12月、東京からここ八ヶ岳の麓、富士見町に移住して3年を過ぎた頃です。

 

 それまではコーヒーを仕事にするなんて想像すらしたことがありませんでした。移住しても、東京にいた頃から続けていた仕事・テレビ番組を制作するディレクターとして一週間の半分は、東京で時間に追われ徹夜も当たり前の過酷な仕事をしていました。残りの半分は、八ヶ岳の森に囲まれた自然豊かな自宅で、薪割りをしたり、草刈りをしたり、木工仕事をしてみたり、のんびりゆったりとした、まるで天国のような数日でした。

 そのような暮らしだったので、自宅に妻1人を残して仕事のために東京へ向かう朝が辛くて辛くて、とっても憂鬱で。東京に行ったら行ったで早く八ヶ岳に帰りたくて、帰りたくて、とっても帰りたくて。あれほど楽しかったはずのディレクターの仕事なのに集中できなくなっていきました。

 

 そのような頃、今となっては運命としか思えない2つの大きな出会いがありました。

 

出会い①「衝撃のコーヒー」

 ある冬の日、番組のロケハンで、一人、千葉県の木更津を訪れた時のことでした。

何の気なしに入った駅前の普通の喫茶店で飲んだコーヒーに衝撃を受けました。

 

「甘い…砂糖なんか入れてないのに、甘い…そして渋み・雑味が無くクリアで美味い。このコーヒーに感動すらおぼえる…」

 

コーヒー好きを標ぼうしていた私でしたが、こんなコーヒーは初めてでした。

「自宅でも毎日こんなコーヒーが飲みたい…」

 

この日以降、様々なコーヒー店へ行き“甘くてクリアなコーヒー”を探したのですが、そのコーヒーは、どうしても、どうしても見つかりませんでした。

 

出会い②「井上社長」

 八ヶ岳と東京を行ったり来たりしている私をしり目に、妻は、特技を生かして富士見町で手作りパン教室『テーブルランド』をオープンさせました。そうなんです、『テーブルランド』は、元々は【パン教室】だったのです。

 ある日、東京から帰ってきた私に妻が言いました。

 

「パン教室に、面白いおじさんが通って来てるの…」

 

 その面白いおじさんがコーヒー豆の焙煎機を作る井上製作所の井上社長でした。パンをこねながらの雑談で「コーヒー豆を焙煎して売ると良い商売になるよ~」というようなことを妻に話してくれたようです。そこで、妻と私と二人で井上製作所へ遊びがてら焙煎機を見に行きました。

 井上社長の話は、分かりやすくて楽しかったのですが、何より、そこで出してくれたコーヒーを一口飲んで衝撃を受けました。

 

「これだ…探していたあのコーヒーだ…」

 

 井上社長が出してくれたコーヒーは、私が木更津で衝撃を受けたコーヒーと同じように、砂糖も入れてないのに甘くて渋み・雑味の無いクリアで美味いコーヒーだったのです。ついに探していたあのコーヒーに出会えたのです。

 

「井上社長に焙煎機を作ってもらえば、この美味いコーヒーを自分で焙煎できる。しかもそのコーヒー豆を売れば、もう東京へ通わなくてすむようになるんだ…」

 

 その場で焙煎機を作ってもらうよう井上社長にお願いしました。

 

 

 井上社長の焙煎機は、本当に本当にとってもとっても優れた焙煎機で、コーヒー修行を全くしたことのない私でも直ぐに美味しいコーヒー豆を焙煎できました。コーヒーのことは、全部井上社長に教えていただきました。たくさん苦労もしましたが、今どうにかコーヒーロースターとしてやっているのは、井上社長のおかげです。大感謝です。この場をお借りして井上社長にお礼を言います。ありがとうございました。