「なぜ?!ロースターになったのか」今回YASTUGATAKE CRAFT COFFEE ROASTERSでこのような内容のバトンが回ってきましたが、他の皆さんのようにドラマチックな展開や出会いでロースターを目指した訳ではなく、割と「成り行き」で今にたどり着いているのでその経緯をざっと書けたらなと思います。
地元は東京の下町風情の残る田端という場所で、都立上野高校で青春を謳歌した後、ファッションスタイリストを目指し恵比寿にあるバンタンで斬研究所に行きました。在学中にその時の恩師に「舞踏をやってみたら?」と言われ卒業と同時に舞踏の世界へ。ちょうどその頃池袋芸術劇場で「有名な舞踏グループの公演がある」と友達に誘われ観にいく事になり、それが後に10年在籍する事になる「山海塾」でした。演目は「金柑少年」という1978年の作品を世代を変えて再演しているもので、その今でも忘れません。サイレンと共に伐倒する身体、舞台上のクジャク、全裸に見える青い光の中の身体とジャズ、逆さ吊りの身体。その数年後に自分自身海外でその作品に出演する事になるのですが。
2008年に初めてその舞台を観た3年後、2011年9月のコロンビアツアーで山海塾のダンサーとして舞台に立つ事になります。2021年6月に引退するまでの10年間で、合計25カ国での公演に参加しました。世界中を旅して踊った事は自分の人生にとってとても大きな経験となりました。
山海塾のダンサーとして活動した10年間、隙間の時間を使い自分の「暮らす場所」を探す事を始めました。まず2015年11月に訪れた場所が香川県にある「直島」でした。芸術が近い環境でありながら田舎の島暮らしができるのでは?と思い行動したのがきっかけです。何のツテもなく始めた旅でしたが、結論から書くと直島に着いた2日後に出会った「向島」という島に約1年ほど住む事になりました。直島から船で100m程の距離にあり、島民はわずか15人(当時)。そこにある「向島集会所」というゲストハウスで管理人よしおさんのもと、お客様の受け入れ、食事の用意、納屋の修繕、船舶の免許取得、たくさんの出会い、数えきれない体験をさせて頂きました。
コーヒーと出会ったのはこの時です。豆を挽いてドリップするくらいはなんとなくやってましたが(今も変わらないか笑)、管理人のよしおさんがコーヒーに強いこだわりを持つ方で、おいしい淹れ方や豆の特徴などを教えていただきました。直島には有名なカフェもたくさんあったので色々と勉強できたこともありました。
2017年に島を出た後はバイクで昔の友達に会う旅をし、同年9月、知り合いが参加する「土壁塗り体験WS」で、現在住んでいる「北杜市」と出会う事になりました。北杜市に移住した理由は「狩猟をして肉を自給したいから」でした。そこからは北杜市内知り合いの家に居候させてもらったり、白州のぴたらファームを手伝ったり、茅葺屋根の修繕の仕事をしたり、様々な経験をしながら「家探し」をしていました。2018年6月からは北杜市須玉町の一番奥地にある「増富温泉郷」に拠点を置き集中して家探しをし、同年9月に無事最初の家を見つけ自分の田舎暮らしがスタートしました。それからは家の近くで鹿を獲ったり、畑をやったり、薪を確保して暖をとったりと絵に描いたような田舎暮らしを続けいていました。
家を探してる時から山海塾の仕事と山梨での生活の2拠点生活をしていたのですが、「山梨でできる仕事」を考えていました。「山海塾のツアーで長い期間空けてしまっても大丈夫な事」、「自分の趣味を活かせる事」、このふたつを軸に考えた結果、現在の「コーヒーの移動販売」というスタイルに辿り着きました。「百番珈琲」の誕生です。
舞台の大道具の経験を活かし木製のキッチンカーは全て自作、営業許可を取得後2019年6月から「百番珈琲」の営業を開始しました。この頃はまだ焙煎豆を他社から買ってドリップしていました。イベントや道の駅、スーパーなどに出店させてもらいながら、手探り状態でコーヒーの知識を少しずつ深めていきました。
焙煎を始めたのは同年10月です。「オーガニックコーヒー専門」という強みで営業していこうと思っていたのですが、流石にオーガニックの焙煎豆は値段が高い…。生豆はオーガニックでも手の届く金額だったので、それを自分で焙煎してみよう!というのがロースターになるきっかけでした。
(やっと本題に辿り着きました…)
最初に使っていた焙煎機は「アウベルクラフト」の200g使用の焙煎機でした。経験が全く無くどのくらい焙煎していいかわからなかった当時に買ったので、いざ始めると1日に10回以上やっても豆が足りない…という地獄の様な日々が続きました。練習にはとてもいい時間でしたが本当にしんどかったのを覚えています。
冬季休業と山海塾の仕事でしばらく休み営業再開した2020年3月、待っていたのは「コロナ禍」でした。予定していたイベントは全てキャンセルになり営業再開の見えない状況でした。なのでしばらくは有機農家さんの手伝いの仕事をしていましたが、そんな今思えば「充電期間」のようなタイミングで出会ったのが、現在でも使用している「Neji Coffee Roster」でした。当時住んでいた家から車で10分もかからない場所にある「On the river」の造形作家「マスミツケンタロウ」が手がけた「鉄製のドラム式焙煎機」です。1kg焙煎できるのは当時の僕にとっては革命的で、アナログな仕組みと鉄の無骨さに惚れ購入する事にしました。コロナ禍で出店できない状況が続いていたので、しばらくこの焙煎機を使って焙煎の練習をしました。
本格的に営業再開をしたのは同年7月からです。少しずつイベントなども戻り、その年は順調に焙煎も営業も続けることができました。
2021年にかけての冬季休業の間にキッチンカーを作り直すことにしました。初代は手探りで作ったものだったので雨漏りや仕様に問題が多々あり、作り直したい願望が止めれず着工にかかりました。
2021年3月には2台目・百番珈琲で営業を再開。しかし、コロナ禍は収束する見通しもなくイベントなどはやはりほぼない状況が続いたので、道の駅やスーパーでの出店がメインとなっていましたが、決まった場所での出店が増えたことで常連のお客様が増え悪い事ばかりじゃないなーと気付かされたりもしました。
同年6月に10年間活動を続けてきた山海塾を辞めてダンサーを引退する事になりました。
そこから今に至るまで本業は「コーヒー屋」になりました。この仕事に割く時間が増えたので焙煎の技術やコーヒーの知識も増えたと思います。
同年10月に北杜市須玉町にある「津金」という古い集落に引っ越しました。そこは昔から集落にある百貨店のような存在な商店だったようで、まだ営業していた頃はたくさんの人が毎日集まっていたそうです。その昔の商店を「カフェ」にする事を次の目標としました。来年いっぱいは移動販売をしながら改装に時間をかけて、今年結婚した妻と二人で2023年春にオープンできたらなと思っています。
そんな人生の舵を取る重要な存在になってくれた「コーヒー」。
「なぜ?!ロースターのなったのか」というよりは「こうしてロースターになった」という内容になってしまいましたがいかがだったでしょうか。笑
YASTUGATAKE CRAFT COFFEE ROASTERの中でも焙煎歴が一番浅い僕なので、いつもみなさんから刺激を頂いています。
次回もお楽しみにー!
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